エディプス王の死(2)
ハインリッヒは亡くなる数年前、妹と従弟がいとこ婚をしてその姓に従弟の母の姓を繋げてダブルネームの姓にしたことから影響を受け、一九一一年にクーデンホーフの姓に母マリーの旧姓であるカレルギーの名を繋げて、家名をクーデンホーフ=カレルギーとした。
後世まで、愛する母の姓を自分の子孫に残したかったのである。

美津の病気が癒えるのと前後して、ハインリッヒは聖者のような暮らしを始めた。
おそらくは、美津の病気によって改めて生と死を一層深く洞察し、「否定の世界」に表れているような悟りの境地に達したのだろう。
酒も止め、あれほど好きだったタバコも控えて、ひどく禁欲的な生活を送るようになったのである。
ハインリッヒは晩年、非暴力、反戦、道徳的啓発、人格陶冶、禁欲、潔斎を謳ったロシアの文豪でモラリストのレフ・トルストイに傾倒して、彼を理想の人物であると言っていた。
ハインリッヒのますます浮世離れしていく聖人振りは、美津をはじめ家族を何となく不安にさせた。
全てを悟りきって生きながら天国に召されているようなハインリッヒの様子は、家族にとっては奇妙に不吉で、彼が地上を離れて行ってしまうような気がしたのである。
そしてそれは間もなく本当になったのだった。

もう一つ、ハインリッヒに死を意識させる出来事があった。
二十数年の時間を経て、彼のもとにマリーの遺書が届けられたのである。
何故こんなに時間が経ってから届けられたのか、また誰がどうやってどういう理由で届けたのか、この時の経緯については全く不明であるが、推測してみるに、マリーと親しい関係者―――おそらくは子供もその人物が預かっていたのだろう―――が亡くなり、その人物がマリーの形見として持っていたマリーの遺書を、自分の死後はハインリッヒに譲るように手配していたのではないだろうか。
その手紙には遺書と一緒に子供の墓の写真も添えられていた。マリーの遺書は子供に充てたもので、そこにはひたすら我が子の幸せを願う母の切なる心情がつづられ、父親のことは一切触れられていなかった。やはり子供に父親に対する復讐心を抱かせない為であっただろう。
このことも、ハインリッヒを「否定の世界」の執筆に向かわせたかもしれない。
ハインリッヒは、ようやくマリーを思い出にすることができ、現在の家族の大切さを再認識したのではないだろうか。

ハインリッヒは、こうして死の前の年月には、達観して自分の生活に幸福を感じていたが、その一方で、何かにひどく怯え始めた。
この頃、あのハインリッヒが、家族を案じてよくちょっとしたことでイライラすることがあるようになったという。
美津が「全ては神の御意志のまま、なるようにしかならない」と慰めると落ち着いた。
タバコを控えていた禁断症状でもあろうが、何だかハインリッヒらしくない話である。
ハインリッヒは常に家族と自身の護身の為に懐にピストルを忍ばせていたという。一体、この牧歌的なロンスペルクでどんな危険を心配していたというのだろうか。
美津の残した手記によれば、ハインリッヒは死の前によくこう言っていたという。
「自分の手にしている幸福は、この惨めな世界において全く不自然でさえあるものだ。
私には天国は無い。なぜなら私はもうそこにいるからだ」
「私は理想に従って生き、すべてが望み通りに行き、全部の願いが叶い、完璧で欠けることのない幸せを享受している。
こんなことの言える人間は滅多にいるものではない」
「しかし、何らかの破局が来るに違いないという絶え間ない不安がある。それはこの理想の幸福を全て破壊するのだ」
ハインリッヒ程の男が、一体何に怯えていたのだろうか?
ハインリッヒは明らかに自分の死を意識していた。
家族と離れ、暗雲立ち込めるヨーロッパの、また世界の危うい情勢の中に家族を残していくことか、―――あるいはもっと他の何かであったのか。
結局、何も明らかにされることは無かったのである。

一九一三年五月十四日、ハインリッヒは朝の散歩から戻ると、心筋梗塞の発作を起こし、ソファに倒れこんでベルを鳴らした。
バービックが慌てて駆けつけ、ハインリッヒの様子を見ると、彼自身が死にかけているかのように顔色を変えた。
「奥様をお呼びしなくては…!」
「いや…妻と子供達は…起こさないでくれ…」
「では医者を呼びます!」
「―――もう、遅い。頼む…司祭を呼んでくれ…」
「殿…!」
バービックは急いで司祭を呼んだ。しかし司祭が駆けつけた時、ハインリッヒは既に口をきくこともできず、彼はいつも肌身離さず持っていたロケットに口付けをしてこと切れた。
それには、彼の母マリーの小さな肖像画と遺髪が数本収められ、蓋には「母上、私のことを思っていて下さい」という文が彫り込まれていた。
死を意識したクリスチャンが行う最後の懺悔を、ハインリッヒはすることができなかった。
彼は何か妻や子に聞かれたくないことを告白しようとしていたのである。
美津や子供達が起こされて、ハインリッヒが横たわるソファの側で泣き崩れ、一番末の使用人に至るまでが皆、主の死を嘆き悲しんだ。
後にハインリッヒを検死した医師は、ハインリッヒに、普通は八十歳くらいにならないと起こらないような動脈硬化が起こっていたと語ったという。
明らかにタバコの吸い過ぎのせいだった。
ハインリッヒはしばらくタバコを控えるようになっていたが、遅過ぎたのだ。
ハインリッヒ程の人が止めることのできなかった唯一の悪癖が、彼の命取りになってしまったのである。真に、タバコの害というものは恐ろしい。
また仕事の過労も、多分に祟っていたに違いなかった。
リヒャルトは後に、ハインリッヒはとても安らかな死に顔をしていたと語っている。これは彼が初めて目にした人の死であった。

―――以上が、「史実」として記録されていることである。
しかし、ハインリッヒの死については、色々と謎に包まれている部分があった。
まず、死に至るまでのハインリッヒの様子を見ていた者は、バービックしかいなかった。彼の証言以外、ハインリッヒの死について詳しいことは分かっていなかったのである。
だから、ハインリッヒの急死に関して、城下の人々は驚きと同時に不思議を感じたのであった。
―――もしかしたら、伯爵は殺されたのではないか?
ハインリッヒの過去を知っている人間は、マリーの関係者の「犯行」を疑っていた。
「町に見知らぬ外国人が二人通って行くのを見た。あれが犯人に違いない」と証言する者達まで現れた。
さらに想像力の逞しい者は、「伯爵は自分の過去の子供に殺されたのだ」と考えた。
確かにハインリッヒの子が生きていたとすれば二十六歳ほどであるが、これは想像に過ぎないであろう。
彼らにとっては例のハインリッヒの子供の墓の写真も、ハインリッヒを油断させる為のトリックだった。
ともあれ、城下ではクーデンホーフ伯爵他殺説がかなり広く信じられていた。
一方で、ハインリッヒの自殺説を唱える人間もいた。
深刻過ぎるハインリッヒが現実に嫌気が差したのだとか、これからのヨーロッパや世界の先行きに絶望を感じたのだ、と言われたが、ハインリッヒの哲学や人格を考えると、これらの自殺説にはあまり信憑性が無いように思える。
城下の人々は、ドラマチックな生き方をしたハインリッヒに、ドラマチックな死に方まで求めてしまったのであろう。

―――ともあれ、ハインリッヒの死については、不明なことが色々残されてはいるが、そのまま「謎の死」としておくのがハインリッヒには一番似つかわしいであろう。
ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギーは、世に類い稀な人物だった。
知性と才能に恵まれ、愛と善に満ち、浪漫と勇気に溢れ、そして隠された悲哀と暗黒を抱えて、人間そのものを体現していた。
あらゆることに目を向けていて意識が高く、彼のやることや言うことには、全て何らかの意味や意義があったという。
全ての人間を愛し、全ての人間に愛された。また神を愛し、神に愛された男であった。
彼のように豊かな人生を本当の意味で「生きた」人間は稀であろう。
ハインリッヒは、明らかに亡くなるのが早過ぎた。
これから二つの世界大戦が起こることや、クーデンホーフ=カレルギー家やハプスブルク家の行く末を考えれば、まだ死んではいけない時期に死んでしまった。
まだ五十歳にも満たぬ若さで、本当に俗世を去ってしまったのだ。彼の周囲の人々にとっては惜し過ぎる死であった。
ハインリッヒが亡くなった部屋は、その後ずっと閉ざされたまま、開かずの間になったという。
燃え尽きるように生きた四十七年間の熱く激しい人生だった。


「一九一三年の五月、自然がライラックやアカシアなどの花に埋まる中、パパは四十七歳の人生の最も美しい力を失うこと無く、五月十四日に、幸福に満ち足りて、患うこともなく、ただ十五分の心臓麻痺の後に神に召されたのでした。
花が枯れない内に摘まれるように、神は彼を連れて行かれました。彼がこの世にはもったいなかったからです。
主は彼を与え、彼を奪いました。
神の御心のままに…アーメン」

【美津の手記より】

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