金魚姫~リヒャルト~
【リヒャルト・クーデンホーフ】

森の奥の大きなお城には、何でもできて何でも知っている魔法使いがいて、遠い夢の国からさらってきたお姫様と住んでいる。
―――それが僕のパパとママだった。
ママは夢の国のお姫様で、桃源郷の天女であった。
パパや執事のバービック爺や―――彼もまた言わば別のお伽の国の人物だった―――と話す時はたまに呪文のような言葉を話した。
天使に近い幼児の頃は、僕もその天女の言葉を少しは話していたらしいが、今ではすっかり忘れてしまった。
僕が生まれたママの国のことを覚えていないのは、僕には残念なことだった。
僕達はパパとはドイツ語で、ママとは英語で、爺とは「バービック式ドイツ語」で話した。
ロンスペルクの城には国も人種も存在しないも同然だった。
僕達の故郷は世界の地図上のどこにも無い、魔法の国の城だった。
そこは偉大な魔法使いが支配する、美と調和と楽しさに満ちた、花と緑と動物と泉が豊かに彩るユートピアだった。

僕達はティーンエイジャーになるまでは、パパと家庭教師達から教育を受け、年に二回、学習証明書を発行する為に地元の小学校から教師がテストをしに訪れた。
パパは毎日どんな天気でも子供達と広い庭や森を散歩して、歴史や地理や語学やその他色々なことを教えてくれた。それは後に通ったどんな学校で学んだことよりも勉強になったのだ。
パパはとても大きな書斎兼図書室を持っていて、その広い壁は万巻の書で埋め尽くされていた。
僕は少し大きくなると、自分にも読めそうな本を探して書架に掛かる梯子をよく上り下りした。
そこには哲学書をはじめ、実用書や文学書、催眠術や魔術の本まであったのだ。
柱に掘られた窪みには、ソクラテス、カント、ショーペンハウアー、マホメット、ゾロアスター、ホメロス、ゲーテ、ナポレオン他、世界中の哲学者や文学者、英雄などの胸像が置かれ―――机の上には小さな仏像もあった―――、ラテン語の銘句やコーランの文などが刻まれていた。
天球儀や地球儀も置いてあり、僕はそれを見ながら世界中にいるたくさんの親族のことを思ったものだ。僕にとって地球は、僕達の一族を乗せて宇宙に浮かぶ船だった。
珍しいものや不思議なものがたくさん置いてある魔法使いの書斎で、僕はよくパパが書き物をしたり読書をしたりするのを眺めて、パパが手を休めるのを待ち、何でも質問したものだった。
こうしたパパの教えと多くの本が、僕の知識を育てる養分と土壌となった。
パパの教育には、客観的、科学的であることを重視していて、およそ偏りというものが無かった。
僕達はカトリックの教育を受けたが、あらゆる宗教に敬意を払っていたパパは、子供達が偏狭な狂信者となることを避けていた。
例えばクリスチャン諸国が行った十字軍などについても、文化の高いアラビア人の国であるシリアに対する盗賊的なヨーロッパ人の襲撃であり、侵略者側の完全な敗北に終わった襲撃であると話した。
パパにとっては、リチャード獅子王よりも、ムスリムの英雄といわれるサラディンの方が身近く感じられていたようだ。
僕のパパはこういう歴史観の持ち主だった。
キリスト教的な価値観や歴史観以外受け入れられないような時代と場所でさえ、パパは決して公平さを失わなかったのだ。
僕達にとっては、ディナーの時間でさえ勉強だった。
ディナーには客が多く、いない方が珍しいくらいだった。インド人やマケドニア人、アルジェリア人やフランス人他―――色々な国からの客がいて、パパを中心に宗教哲学や音楽芸術、世相などについて語るのを聞いていた。
僕達子供は、大人の話に口を出すことは許されず、大人達の興味深い話題をわくわくしながら黙って聞いていた。
僕達がパパから受けた教育というのは、およそこういうものだった。

ママも僕達と同じように勉強していて、女学生のような生活を送っていた。
パパとママはとても仲が良かったが、しかしそれでも、二人はまるで別の惑星の人間であるかのように違う人生を歩んでいた。
パパとママは、精神的には独身を保ったまま、夫婦生活を送っていたのだ。
パパとママは二人の出会いについては決して語ってくれなかった。
おそらくは言えないような事情があったのだろう。しかし、僕はパパが紳士的ではない方法でママを手に入れたとは決して思わなかった。
パパは大変な紳士で、いつか僕が「筆跡が性格を表すというのは本当でしょうか?」と質問した時、即座に「婦人に対する礼儀が、男の性格を表すのだよ」と答えたくらいなのだ。
パパは僕にジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を薦めてくれ、主人公のフィリアス・フォッグ氏を、紳士の手本だ、と言っていたが、その物語の、イギリス紳士のフォッグ氏が八十日間で世界を一周出来るかという賭けをして冒険の旅に出かけ、途中で時間のロスにもかかわらず危機に瀕していたインドの未亡人アウダや執事のパスパルトゥなどを助けて最終的にぎりぎりで成功させる、という内容を考えれば、世界中を旅したパパや日本人のママ、アルメニア人の爺のことを重ねずにはいられなかった。
実際、爺はパパに助けられたそうだし、ママもパパに恩があったに違いない。
ママはパパと結婚して幸せそうだったが、一方では辛そうでもあり、両極端な感情を抱いていたようだ。
ママはパパの側にいたがったが、一方ではホームシックにもなっていた。よく侍女に長く美しい黒髪を梳いてもらいながら、鏡の前でずっとぼんやりと日本のことを考えていた。
ママは自分では金魚鉢の金魚だと言っていた。
パパはママを大切にしていたが、それでもやはりママはパパの黄金の檻に捕われている囚人だった。
ママはパパの女王で奴隷だったのだ。
ママはいつも日本のお祖父様とお祖母様に毛筆で巻紙に手紙を書いていた。そしてたまに琴や日本のギターやマンドリンに似た楽器を弾いたり、和服の着物を着たりした。
そういう時は、僕達子供は大喜びしてはしゃいだものだ。
日本の祖父母からは僕達に日本の絵本やおもちゃ、鯉幟や招き猫、鎧兜の武者人形や美しい着物を着た日本女性の人形などが贈られてきた。
着物を着たママは、美しい日本人形にそっくりだった。
僕達は日本のお伽噺とヨーロッパの神話とを聞いて育ち、爺はアラビアン・ナイトを語ってくれた。
僕達の中では、それらの世界は何の不思議もなく両立していた。

僕達は混血児としての苦労をほとんど経験しなかった。
パパはいつも日本人がいかに優れた素晴らしい人種であるかを説明してくれ、その血が流れていることを誇りに思うようにと教えてくれた。
今思えば日本贔屓と妻子の為を思ってのことだったのだろうが、幼い僕達はパパがそう言うなら素直にそれを信じたし、実際、当時は日清日露戦争によって、日本は次第にヨーロッパでも認められてきたという背景があった。
その日露戦争と時期を重ねて、ママは大病を患ってしまった。結核になってしまったのだ。
元々とても細かったママは、棒のように痩せてしまい、床から起き上がれなくなってしまった。
僕達は一家をあげて南チロルの保養地に転地した。それからまたドイツの「黒い森シュヴァルツヴァルト」に移り、その間にパパはシュトッカウで経営していたホテルをママの為に家族と過ごせるサナトリウムに改造したのだ。
パパはこの頃にはすでに反戦思想家になっていたが―――僕達がおもちゃの兵隊で遊んだり、戦争ごっこをするのも禁じていたくらいだ―――日露戦争が妻子の人生に大きな影響を与えることを知っていたから、この時は日本の味方をしていた。
パパは友人の新聞記者に頼んで戦況を電報で報告してもらい、新聞よりも先に戦況を知っていた。
僕達は部屋の壁に満州の地図を貼り、日本の攻略地に日本国旗のついたピンを刺して、毎日それが増えていくのを喜んだものだった。
国の為に勇敢に戦って死んでいった将校や兵士達の話についても、それを戦争の悲惨さと思うよりも、少年らしい英雄への憧れとして聞いていたのだ。
しかしパパは子供達が軍国主義者や国粋主義者になることを望んではいなかった。
パパはいつも、狂信的な愛国心や偏狭な国粋主義は愚かなものだと言っていた。
パパは日本もロシアも好きだったから、両国の国歌のレコードをかけ、子供達に起立して両国の戦死者の冥福を祈るように言っていた。
一時は子供達とのお別れをするくらい、ママの病状は悪化したが、日本の勝利はママに気力を与え、ママも病魔に打ち勝った。
もちろん、主治医であったプラハ大学のミュンツァー教授の努力も、それは大変なものだった。
彼は抗生物質も無い時代に不治の病とされていた結核から見事にママを回復させたのだ。
パパは感激して教授に白紙の小切手を贈ったが、教授はそれを受け取らなかった。彼は本当に素晴らしい医者だった。
パパはママの為にロンスペルクの城を改築した。
電気が引かれ、セントラルヒーティングが設けられ、城はすっかり近代化した。
パパはママの命を救う為に大金を費やした。パパの財力をもってしても、大変な出費だったようだ。
しかし、子供の頃の僕達は金銭的に何一つ不自由をしたことが無く、我が家には無限大に資産があると思っていたのだからおかしなものだ。

パパはよく父親というものについてこう教えてくれた。
「どんな息子もすべて父親との関係については四つの段階を経験する。
最初の内は息子は父親を半神と思い、次に息子は次第に父を批判しあらゆる欠点を発見し始める。
第三の時期は短くて、束縛の期間で、父親がロバのように物わかりの悪い人間に見える時期だ。
そして幾年も経って、父親が年老いるかまたは亡くなった時に初めて第四の段階が始まり、父も色々な欠点を持っていたが、それでもやはり立派な人間だったと思うようになるのだよ」と。
おそらくそれは、パパ自身の経験であったのだろう。そして僕にとっては、パパは永遠に第一の段階の半神のままになってしまったのだった。

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