アンチ・シンデレラ(Ⅰ)
【公第三十号】
今般在東京墺洪特命全権公使男爵ビーゲレーベン賜暇帰朝相成候ニ付伯爵ヘンリー・ド・コーデンホーフェ公使館代理公使トシテ来一月上旬赴任致候。
同氏義ブラジールニ在ル墺洪公使館書記官相勤候。年来日本駐箚ノ義熱望致居候処日本ニハ公使ノ外外交官ノ位地無之失望致居候処今般公使帰朝ニ付代理公使トシテ赴任致シ候事ニ相成、大ニ満足致居候。
又通訳書記官男爵ヘンリー・フォン・シーボルト継続ノ義熱望致居候。
右及御報告候也。

明治二十四年十二月二十八日
於維也納特命全権公使 渡辺洪基
外務大臣 榎本武揚殿


「今度オーストリア=ハンガリー公使のビーゲレーベン男爵が暇を賜って帰国するのでハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵が新たに代理公使として一月上旬に赴任することになった。
この人はブラジルのオーストリア=ハンガリー公使館で書記官を勤めていた。長年日本に駐在することを熱望していたが、日本には公使以外の外交官のポストは少なく失望していたところ、今度公使が帰国するので新たに公使として赴任することになり大いに満足している。
また通訳書記官のハインリッヒ・フォン・シーボルト男爵が継続して勤めることを熱望している。
右記ご報告まで。
明治二十四年十二月二十八日 駐ウィーン公使・渡辺洪基より外務大臣榎本武揚殿」

*実際にはクーデンホーフの着任は明治二十五年二月末日であり、この文書は三月に日本に届けられたので、本人の方が早く到着した。


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【ハインリッヒ・クーデンホーフ】

フジヤマは見えなかった。
冬の厳しい国で生まれ育った私にはそれほどではなかったが、日本では例年以上に寒い冬であったそうで、翌日からはもう三月だというのに灰色の雲が空を支配し、雪をこぼしそうな予感さえさせていた。
天気が悪くて残念です、と港で私を出迎えてくれた私と同名のハインリッヒ・フォン・シーボルトは心からそう思っている様子で言った。しかし私には残念さよりも彼の父と同じく日本学において名高いフォン・シーボルトとまみえた喜びの方が遥かに勝るものだったのだ。
私より七才年上の彼は日本の考古学の研究において優れた業績を上げていて、ドイツ人でありながら長らくオーストリア=ハンガリー公使館の代理公使や書記官、通訳などを務め、とうとうオーストリア=ハンガリー帝国国籍を得た公使館のぬしのような存在だった。
彼は私の書記官としてその後公私ともに良き相談役を果たしてくれることになる。
もう一人私を出迎えてくれたのは茂原しげはら富太郎とみたろうという若い男で、彼は通訳および外務省とオーストリア=ハンガリー公使館の連絡役を務める役人だった。
挨拶を述べて深々とお辞儀をする彼の姿を私の忠実な従者であるアルメニア人のバービックが興味深げに見やった。
公使館の官僚は公使の私を含めてこの三人しかいなかった。
オーストリア=ハンガリー二重帝国と日本は国交を結んでいるといっても交際はごく薄いもので、仕事は正直少なく閑なものだったのだ。実際、書記官を置かず公使と通訳の二人しかいなかった時もある。
二国の間にあったのは政治的なものよりむしろ文化的な交流であり、私の仕事は僅かな事務の他には主に日本人や日本国内の外国人達との社交、そして何より日本をよく知り本国に知らしめることだった。
十数ヶ国語を操り、外交官として複数の国々で実績を上げてきた自負のある私にとっては、いささか腕の見せ所としては物足りなく感じたが、これからどうなるかは分からないし、憧れの日本で文化研究に没頭できることは私的な本望が公的な本分になった訳でむしろありがたく、給料をもらうのが悪く思える程だった。

着任早々、私は貪欲に日本の美を摂取することに従事し始め、シーボルトは私にとって本当にうってつけの相棒だった。
日本の文化と歴史に対する愛と造詣の深さにおいて彼の右に出る者はいないだろう。私もいずれはそうなるつもりだった。彼からは多くのことを学ぶことになるだろう。私たちはすぐに双子のように馬が合った。
彼は同じ好古仲間の私を彼がしばしば行くという「あぶら屋」(元は行燈あんどんの菜種油を商っていたそうだ)という骨董品店に連れて行ってくれた。
そこは随分と印象的な店だった。
青山あおやま喜八きはちという名の店主は明治の世になっても髷を落とそうとしない古風な男で、その店には今も江戸時代が息づいていた。
しかし茶を出してくれた彼の娘は父親と反対にどことなく日本人離れしたちょっと浮いた感じのする少女で、私は少し意外に思った。
二度目に「あぶら屋」を訪れた時、いつものように私が馬を下りるのに手を貸そうとしたバービックが氷のように踏み固まった雪で足を滑らせてしまい、私の手を掴んだまま転んでしまったものだから、私も引きずられて馬の上から落ちてしまった。
バービックが身を挺して私の下敷きになり、厚着もしていたので怪我はしなかったが、コートが雪の泥で汚れてしまい、バービックも泥だらけになった。
「あぶら屋」に入ってシーボルトが事情を説明すると、喜八はすぐに娘に命じて大きな桶に湯を用意させ、彼女は手拭いを湯に浸して絞ると何度も私のコートを拭いてすっかりきれいにしてくれた。
上着だけでなくズボンまで汚してしまったバービックは、着替えの和服を提供されてかえって嬉しそうだった。トルコ帽に和服という姿はなかなかに可笑しなものだったが。
火鉢で乾かしたコートを受け取って私が「アリガトウゴザイマス」と言うと、彼女は控えめな態度で「いいえ」と言って薄く微笑んで会釈した。
とてもシャイな美少女だった。彼女の名前は美津みつというらしい。
日本の女性としては背が高いが顔立ちは幼く、はじめ私の年齢の半分くらいの十五・六の少女だろうと思っていたら、後に十八才になっていることを知って驚いた。
私はその後数年日本に留まったが、アジア人の年齢というのは判りにくいものだった。
この頃、明治維新によって没落した大名や名門武家の手を離れた財物が市場に数多く流出していて、国内外の好事家たちに大きな人気を博していた。
外国人の私が日本の文化財を買い漁るのは気が引けたが、正直その大切さに気付いていないのは日本人達自身だったから、その価値を理解してその美を愛で、きっちりと研究して保存のできるシーボルトや私のような人間の手に渡った方が文化財にとっても為になるはずなのだ。
それは西洋人の傲慢な言い訳でしかなかったが、その時は実際それが真実だった。
私は高尚で美麗な芸術品からおもちゃ同然のキッチュながらくたまで日本の物品にすっかり魅せられ、暇を見つけては「あぶら屋」に足繁く通い続けた。
どうやらそれがあらぬ誤解を招いてしまったらしかった。
私は「あぶら屋」にとってさぞ上客だったことだろう。―――あの日までは。

ある日、富太郎が美津をメイドとして公使館に奉公させようと思うから私の意に沿うか彼女を面接してほしいと言ってきた。
「ほう。あのが来るのか」
あの大人しそうな娘が公使館で働こうとは意外だった。
しかし、富太郎と話している内に、私はすぐに何かがおかしいことに気が付いた。
まず面接を紅葉館―――美津が以前に行儀見習いとして奉公していた高級料亭らしい―――で行うという。さらに彼女の両親までがそれに参加するというのだ。それに住み込みで働くというが彼女の家は十分に通勤できる範囲だ。
私があまりに変な顔をするので、富太郎は何か自分がとんでもない失敗をやらかしてしまったことを悟って困り果てた顔をした。
私達の様子を見かねたシーボルトが口を挟んだ。
「この公使館に住み込んでメイドとなり奉公するということは、つまり、彼女はあなた自身にお仕えするということなのでしょう。昼も―――夜も」
私は一瞬呆気にとられ、やがて情けなく真っ赤になった。
「冗談だろう。外交官の職務規定に”任地の女性と関係を持つこと”なんて項目は無かったはずだぞ」
富太郎はミアイがどうとか焦って弁解していたが、要するに私は自分にあてがわれる情婦の品定めをする光栄に浴しているわけだ。
私は低く押し殺した声で怒りを制御しながら言った。
「そういうことなら、私にはそんなメイドなどは要らない。ミツはここに来る必要などない」
シーボルトが深く溜息をつき、ゆっくりと首を横に振りながら言う。
「お言葉ですが、閣下。あの旧弊なキハチのことはよくご存じでしょう。
異人に娘を差し出さなくてはいけないことだけでも、彼にとって大変に屈辱的なことなのです。この上あなたに拒まれたりしたら、キハチは家の名誉のためにミツを殺してしまいかねませんよ」
私は狼のように低く唸り、表情を見られないように下を向くと、机に肘をついて頭を抱えた。
―――嫌だ。
自分の過ちで女性に死なれるのはもう嫌だ。
もう二度と…!
私は顔を上げると富太郎に射殺すような視線を向けて吐き捨てた。
「いいだろう。そこまで言うなら娘を寄越すがいい、寝てやるとも!
久しぶりに女が抱けて嬉しいよ。ありがたくって涙が出る!」
私のあまりの剣幕に青ざめて怖れをなし平身低頭する富太郎とそれを侮蔑を込めた視線で見やるシーボルトの横を通り抜け、私は一人で気を鎮める為に私室に向かった。

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